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深部体温上昇推定による熱中症予防対策(タンクトップシャツ型ウェアラブル端末)
spacer.gif 前田建設工業㈱
 ICI 未来共創センター
 阿部敏之
1 はじめに
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 日本では夏季の気温上昇による猛暑日の増加や都市部でのヒートアイランド現象による熱帯夜の増加などの影響で、近年の熱中症患者数は増える傾向にあり、特に死亡事例も発生していることは社会問題になっている。熱中症患者の内訳では、65歳以上の高齢者が半数を占めるが、男性では労働者や学生を含む15~64歳でも熱中症発症件数も多く、労働環境や教育現場においても特に安全管理の面から重要な課題であると考えられる。
 厚生労働省「業務上疾病発生状況等調査」によると、職場における熱中症による休業4日以上の死傷者数は2019年が790人(うち死亡者数26人)、2020年が959人(うち死亡者数22人)、2021年が561人(うち死亡者数20人)であり、依然として死亡災害も発生しており、暑熱環境下で運動負荷が増大する作業を行う場合は特に注意が必要である。これまでも、労働環境における熱中症予防策として、WBGT測定によるリスク把握や空調導入など作業環境管理、作業時間の短縮や定期的な休憩・補水などの作業管理、体調管理の呼びかけなどの健康管理、労働安全衛生教育による熱中症対策の啓蒙等が行われてきているが、労災事例は後を絶たず、労働安全衛生面からも、さらに効果的な対策が望まれている。
 弊社では少子高齢化に伴う労働人口の減少が建設業における喫緊の課題であると捉えている。建設現場では人手不足と高齢化が進む中、前述のとおり近年の夏季の労働環境は厳しい状況であり、労働安全衛生上のリスクが高い。最近では電動ファン付き作業服やクールベストなどの個人対策製品も取り入れられ、様々な工夫が熱中症予防対策として講じられているが、作業員の体調管理は、個々人の判断によるところが否めない。
 そこで弊社は、ミツフジ社が提供する着衣型生体センサー(写真1)により心拍情報を取得できるソリューションの活用により、客観的な判断に基づく対策製品の可能性を考え、産業医科大学とミツフジ社の協力のもと共同研究に着手した。
 


2 熱中症の生理現象
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 生理学的には脱水や深部体温の上昇にもとづく身体影響が起こる状態が熱中症と呼ばれ、その病態により「熱失神」、「熱けいれん」、「熱疲労」、「熱射病」に分類される。また日本救急医学会の熱中症診療ガイドラインでは、熱中症の重症度は、「Ⅰ度」、「Ⅱ度」、「Ⅲ度」に分類されており、通常、「Ⅰ度」は熱失神や熱けいれん、「Ⅱ度」は熱疲労、最も重症である「Ⅲ度」が熱射病に相当するとされている(表1)。すなわち、死亡に繋がる重症の熱中症を防ぐためには、生理学的な側面から、脱水や深部体温の上昇を防ぐことが非常に重要であり、脱水状況や深部体温は重要なリスク指標になると考えられる。
 またアメリカ産業衛生専門家会議(ACGIH)によれば、熱中症に至る前のHeart Strain(暑熱ストレイン、熱緊張)の状態の基準として、①深部体温が、38.5℃を超える場合(暑熱順化出来ていない場合や高齢者は38.0℃を超える場合)、②体重変化が体重の1.5%を超えて減少している場合、③脈拍(心拍数)が、3分以上継続して(180-年齢)を超える場合、が示されている。ISO9886は 4つの熱ストレスばく露の生理指標として、深部体温(直腸、食道、腹腔内、鼓膜、外耳道、尿道)、皮膚温(局所または複数箇所の平均)、心拍数、体重減少を示している。深部体温が38.0―38.5℃または、皮膚温に関しては43℃(暑熱馴化による)が作業時の閾値と考えられている。
 


3  人工気候室を利用した実験とアルゴリズム
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 熱中症の症状が現れた状態で様々な生理データを取得することは簡単ではない。今回の共同研究では暑熱環境を再現し、その中で一定の運動負荷を与えながら生理データを取得できる設備(人工気候室)のある産業医科大学に協力をお願いした。暑熱リスクの状態を再現するため、気温35℃、湿度50%に調整した人工気候室で運動負荷試験を実施した。実験は、安静6分、運動負荷18分、休憩18分、運動負荷24分、休憩18分の手順で実施した(図1)。気温35℃、湿度50%という環境は、その中に入った瞬間にムッとするくらいの環境で、医師の立会のもと途中で体調不良を訴えた場合や深部体温(直腸温)が38.5℃を超えた場合には実験を中止することとし、事前に被験者の健康状態も入念に把握するなど、実験中の事故を未然に防ぐ準備の上実施した。
 この実験では、実験前後に体重、脂肪量、除脂肪量、筋肉量、体水分率、基礎代謝量を計測し、実験中は心電図、深部体温(直腸温)、体表面温度を計測した。また疲労度測定として、反応時間計測(PVT)を休憩開始時に計測し、主観評価として3分毎に自覚的運動強度(ボルグスケール)を収集した(写真2)。
 本稿では解析の詳細は割愛するが、外部環境による暑熱負荷や運動による熱産生、脱水によるストレスなどの生体反応は全て何らか心拍への関連があること、昨今のセンシング技術から日常的に心拍情報の把握が可能になってきていること(ミツフジ社が提供する着衣型生体センサー)を鑑み、深部体温(直腸温)と心拍情報から算出される指標に視点をあてて様々な解析を行った。その結果、深部体温と各生理指標の関係において、深部体温の変化量と心拍情報との類似度が高いことが示され(図2)、心拍情報指標を利用した深部体温推定アルゴリズムの導出に至った。
 


4 熱中症対策製品への応用
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 この深部体温推定アルゴリズムを応用して、共同研究メンバーのミツフジ社がシャツ型ウェアラブル端末から得られる生体情報をもとに体調変化リスク推定が出来るアプリケーションシステムを開発した(図3)。このシステムでは、シャツ型ウェアラブル端末で計測された心拍データがリアルタイムでスマートフォンに送られて解析される。心拍情報に基づく深部体温上昇を暑熱リスク上昇の推計値とし、初期体温設定を37.0℃として推定深部体温が38.0レベルに達すると「注意」、次に、推定深部体温38.5℃レベルに達した時点で「警告」の2段階アラートが、表示とアラームによって作業者に伝えられ、休憩や補水などの対処行動を促す設定となっている。さらに情報は管理者に伝えられ、暑熱ストレスの高い作業者の状況を遠隔で確認することも可能となっている。またシャツ型ウェアラブル端末の装着に課題があることから腕時計型のウェアラブルデバイス(図4)で計測できる脈波情報から得られるパルス間隔(PPI)を使い、このアルゴリズムでシンプルにアラートを発信するウェアラブル機器も開発している。
 


5 生体センシングによる暑熱対策の課題と可能性
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 厚生労働省の「2018年度労災疾病臨床研究事業」において、本製品含め数社の製品について評価検証および導入事業者へのアンケートが実施されている。アンケートでは導入効果として、「導入後熱中症症例は発生しなかった」、「予防行動につながった」、「個人毎の対策を立てやすくなった」、「効果的な休憩方法が見つかった」など一定の効果があったことが示されている。反面「通信が途切れることがあった」、「アラームが多くなることがあり、作業途中で対応できないことがあった」、「受信端末を持つ必要があり不便である」などの意見もあり、実環境における適用では課題も残っている。弊社においても土木、建築それぞれのモデル現場で検証を実施したが、警告(アラーム)の精度(体感との乖離)や装着感など同様の意見を耳にした。
 なお今回開発したウェアラブルセンサーによる生体情報計測に基づく暑熱リスク推定アルゴリズムの留意すべき点として、①年齢や基礎疾患の有無による自律神経機能(心拍情報)の個人差の深部体温推定への影響、②センサーや電極の接地等によるセンシング機能の精度、③暑熱環境での運動負荷時の深部体温上昇を前提としているため、運動負荷が少なく暑熱負荷のみでの暑熱リスク判定への適否、④外部環境データを考慮していないため、特に熱放散による体温への影響といった点があげられる。最近では扱いやすい形態のウェアラブル製品(センシング技術)や職場環境のIoT化による外部環境データの一元管理など、ハード面での進化は著しい(表2表3)。心拍などの生体データに加え、温度・湿度などの外部環境データも同時取得できるようになることで、内部・外部環境要因の指標を組み合わせ、暑熱リスク推定の精度を高めた製品が出てくることに期待している。
 


6 おわりに
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 正直なところ、熱中症対策だけで考えると現在の製品及びサービスは、導入コストや装着者への負担などが導入の壁になっていると思われる。建設現場では作業所のIoT化が各社で進められており、作業者が当たり前のようにウェアラブルセンサーを装着し、生理データを含む状態把握が可能となる未来はそう遠くないと考えている。生体センシングのソリューションは熱中症予防対策にとどまらず、日々の健康管理、事故リスクの事前把握などもたらされるメリットは増えていくものと思われ、センシング価値を高めるソリューションやサービスの開発が重要になってくる。それぞれの職場環境の課題の解決に向けて、引き続き企業や大学との共創を推進し、労働環境の改善、ひいては担い手不足対策の一助になればと思う次第である。
 


(参考資料)
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丸山 崇、黒坂知絵、八谷百合子、山田晋平、上田陽一、東 敏昭:「暑熱リスク推計アルゴリズムの開発およびウェアラブルセンサーを用いた熱中症対策の課題と今後の可能性」 健康開発第27巻第3号
Chie Kurosaka、Takashi Maruyama、Shimpei Yamada、Yuriko Hachiya、Yoichi Ueta、Toshiaki Higashi
:『Estimating core body temperature using electrocardiogram signals』PLOS ONE
 


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