3.1 熱中症予防のための発汗センシング
では、"適切な水分補給" を行うにはどのようにすればよいだろうか。一般的に、喉の渇きを感じた時には既に脱水が進行しているとされ、喉の渇きを感じる前に定期的な水分摂取が推奨されている。しかしながら、作業現場において作業に追われると定期的な水分摂取を行うのは難しいという声を聞く。最低でも、発汗で喪失した水分量と同等の水分摂取を行う必要があるが、日々の発汗量を認識するのは意外に難しい。特に、高齢になると喉の渇き(枯渇感)を感じにくくなると言われている。
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そこで我々は、信州大学医学部と共同で、発汗量の変化を高度にセンシングする小型センサ技術を実現し、それを用いて、適切な水分補給を促すウェアラブルデバイスを開発した。図1は、開発デバイスである『熱中症対策デバイス WLS―1000』(以下、「本機」という)の外観である。
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本機には、『換気カプセル法』5)6)と呼ばれる日本発の高度な発汗センシング技術を応用した発汗センサが搭載されている。あまり知られていないが、ヒトの生理現象の中でも発汗の研究は日本が世界をリードする研究領域であり、その元となっているのが高度な発汗計測技術である。従来、発汗計測法としては、例えば、運動前後の体重変化から喪失した水分量を測定する方法や、皮膚の一部を袋やシートで覆い、液体として出現した水分量の重さを測定する方法があったが、発汗量の変化を逐次観測できるものではなかった。換気カプセル法は、この課題を解決するもので、皮膚を覆うカプセルに放出された汗の水蒸気を換気し、汗による空気の湿度上昇量を2つの湿度センサを用いてセンシングすることで、皮膚単位面積から単位時間に発生する発汗量(以下、「局所発汗量」という)を得るものである。センサを装着した局所からの汗の出方(出始めるタイミング、変化、量など)をリアルタイムに測定することができる。世界的にみてもユニークな技術であるが、医療機器や研究用機器として利用される信頼性の高い技術である。本機の発汗センサは、換気カプセル法の原理を小型構造で実現しており、ウェアラブルデバイス内で発汗量の変化を測定できる。
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このセンサは局所(皮膚の一部)から発生する発汗量を測定するものであるが、そこから全身の発汗量を推定するアルゴリズムを構築している。腕時計型デバイスには、全身から発生する発汗量の積算値が表示されるようになっており、給水量の目安とすることができる。また、実際の給水量を記録すれば、デバイスに表示される発汗量との差から水収支を算出し、大雑把な脱水の進行具合を確認することもできる。
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3.2 適切な給水タイミングの提示
発汗量の測定により日々の給水量の目安が分かるが、適切なタイミングを確認することはできない。水分を口に入れても、すぐに体内に吸収される訳ではないため、脱水の初期段階で予め水分摂取を行う必要がある。
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我々は、局所発汗量の変化から脱水の初期段階を検知するアルゴリズム(以下、「給水アラート」という)を開発した。給水アラートは、大雑把に発汗量の増加が頭打ちになったポイントを検出するものである(特許出願済み)。臨床研究により、給水アラートの前後でバゾプレシンの増加とともに枯渇感を生じることを確認している。バゾプレシンは、尿量を減少させ体の水分の喪失を防ぐ抗利尿ホルモンであり、その増加は体水分量が減少しはじめていることを示している7)。
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本機は、搭載された発汗センサにより発汗量を測定し、その変化量から給水アラートを検知して、提示する仕組みになっている。
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3.3 作業現場での使用例
本機の使用事例として、建築現場において炎天下で作業を行う作業員(3名)と管理者(2名)の、発汗量の測定結果について紹介する。
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(ア) 業務中の発汗量の変化と活動量測定例
図2に管理者及び作業員の発汗量及び活動量の時間変化の代表例を示す。図2(a)のように管理者は活動量の増加に伴い発汗が出現するのに対し、図2(b)のように作業員は常に活動量が高いことが分かる。開始から約5時間後に活動量が低下するのは昼食休憩であるが、それ以外は常に発汗量も多い状態である。
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(イ) 管理者・作業員の発汗量及びアラート回数比較
図3(a)に管理者・作業員の発汗量、図3(b)にアラート回数の比較を示す。被験者は、活動量の多い 管 理 者(sub1)、 活 動 量 の 少 な い 管 理 者(sub2)、活動量の多い作業員(sub3、4)、活動量の少ない作業員(sub5)となっている。活動量(業務内容)によりばらつきがあるものの、管理者に比べ作業員は発汗量が多く、2から3倍程度となることもある。一方で、1日の給水量をアンケートにより取得したところ、活動量の多い管理者(sub1)が2L 程度摂取しているのに対し、活動量の多い作業員(sub3、4)は1L 程度であった。作業員は作業中に水分補給を行うタイミングが限られているという声も聞かれ、脱水のリスクが高いと考えられた。結果として、アラートの回数も多くなる傾向が確認された。
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(ウ) 発汗量と給水量から推定される管理者・作業員の業務中の体重減少
図4(a)に1日の業務中の水分補給量をアンケートにより取得し、発汗量と比較して水収支の計算から業務中の体重減少率(体重に対する、水分喪失による体重減少の割合)を推定した結果を示す。
特に作業員の方は、体重減少率が暑熱曝露限界である1.5%(米国産業衛生専門家会議基準)を超え、身体パフォーマンスが低下するとされる2%をも超える日があることが確認された。
給水アラートが提示されたときに、100ml(g)の水分摂取を推奨しており、給水アラートに従い、水分補給を行ったと仮定し、水収支(水分の排出と摂取のバランス)を再計算した結果を図4(b)に示す。図4(b)のように暑熱曝露限界を超えると推定される日は大きく減少することが確認された。給水アラートに従い、適切な水分補給を行うことで、脱水リスクを軽減することができるといえる。
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3.4 身体影響のモニタリング
国際標準化機構 ISO などにより、作業中の暑熱負荷増大を示す基準として、心拍数、体温、体重減少率など生理指標の上限が示されている8)。
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特に、心拍数は多くのスマートウォッチに搭載されており、作業中の身体負荷の程度を容易にモニタリングできる。 体温は、熱中症予防の観点では最も重要な生理指標となるが、厳密には核心温(体の深部の体温)を測定する必要がある。一般に直腸温、鼓膜温などが利用されるが、活動中に測定することは難しく、皮膚温から推定したり、熱平衡を利用して測定する方法が提案されている。
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体重減少量は、発汗量と給水量の比較(水収支)からある程度推測することができるが、給水量を記録する必要がある。
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本機には、発汗センサの他に、心拍センサ、皮膚温センサ、加速度センサが搭載されており、脱水による身体への影響も確認できるようになっている。すなわち、発汗センサを用いて、脱水の初期段階を検知し給水を促したり(給水アラート)、全身発汗量を数値として示してリカバリに必要な水分量の目安を提示するとともに、心拍センサや皮膚温センサを用いて、脱水による身体負荷の程度をモニタリングしている。身体負荷の増大を示す際は給水アラートと異なるアラートが提示される仕組みとなっている。強いていえば、前者は "予防" を促すもので、後者は"危険検知" を行うものといえる。
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現在、熱中症対策として様々なソリューションが提案されているが、その多くが"危険検知" に終始するアラートを提示するものとなっている。熱中症対策の考え方として、"身体への障害を生じないために、危険状態の寸前を検知すること" を重視する傾向にあると思われる。しかしながら "危険検知" は現実的に難しく、特に、本人の感覚とずれを生じることが多いため、アラートを無視されることが多いという声を聞く。許容できる熱ストレスについて個人差が大きく、"危険状態" という概念を定義することが困難と考えられる。また、イメージされる"危険状態" では脱水が極端に進行していると考えられ、身体パフォーマンスに悪影響を及ぼしていると想定される。熱中症対策の本質は、体温上昇を防ぐ工夫(高強度運動の抑制、衣服への配慮、適度な休憩など)を行いながら水分補給を徹底し脱水の進行を防ぐよう対応を行うことであり、本機は、その発想に基づき設計されている。発汗センサにより、水分喪失量を把握することで身体パフォーマンスの低下防止やリカバリに役立つ情報を提示できる。
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